ウオロェデョイ埠頭

lo vrici selciska be la .xopukas.

私がロボットだった頃の話

 私にはロボットだった時代がある。正確には、家庭の合意のもとでロボットとして振る舞った時代がある。

 遠い昔だ。その頃に対する評価や感情はまだ整理できていないが、どうせ死ぬまで整理できないので、ひとまず今感じるままに語っておくべきだと思う。

 幼稚園児~小学校低学年の頃の私は典型的な ADHD+ASD 児の様相を呈していたらしい。とにかく落ち着きが無くて、すべてが退屈で、日に何度もその場から脱走した。教室から脱走して図書室に逃げ込んで、食卓から脱走して子供部屋に逃げ込んで、親や先生から毎日怒られて、聞き飽きた説教からも脱走して空想の世界に逃げ込みたかった。高いところが好きで、木に登って、塀に登った。危ないからやめなさいと怒られた。幼稚園のホールの柱に登れる子は私のほかには1人だけだった。私の好きなことのほとんどは「みんな」にとってどうでもよいことで、私ができなくて困っていることのほとんどは「みんな」にとって簡単なことだった。私は好きなことの話をできずに退屈した。

 物心ついた頃にはすでに、自分は異端で、出来損ないで、「みんな」にできることができないことを「知って」いた。発達障害とか ADHD とか ASD という名前は知らなくても、それが先天的なもので、努力で乗り越えられる域を超えていることも「知って」いた。まだ小学校に入る前の幼児に直面させるにはあまりに残酷な命題かもしれないが、当時の私は幼児なりに、小さな思想家として、一生懸命に考えて理解しようとした。

 そうして私は、怒られるたびに、できないたびに、自己に対する憎悪と軽蔑を深めた。「死にたい」や「自殺」という概念を知る前から、それに匹敵する感情を抱いていた。

 抱えきれない自己への憎悪と軽蔑は、しばらくして珍妙な形に結晶した。それが「私がロボットになること」だった。

 私は私をまともにできない。私は私のできなさを許せない。殺したい。でも私が殺されたら私にされることがされないから困る。機械になりたい。ロボットになりたい。人語を解してその通りに確実に命令を遂行するロボットになりたい。

 小学1年生くらいの頃、私はロボットになると母に言った。「私が言うことを聞けなかったら『[規定の文字列]』で私をオフにして、私の代わりのロボットを呼び覚ましてほしい」という旨を幼い言葉で伝えた。母は、真意を理解してくれていたかはわからないが、とりあえず承諾して「ロボットごっこ」に付き合ってくれた。一度に記憶できる命令は2つまで(後にバージョンアップして4つまでになった)、命令は端的に分かりやすくする、「ちゃんと」や「しっかり」と言わずに具体的な数を使って命令する、命令の実行が終わったら知らせる、などと約束事が増えて、私はときどき私の制御に成功した。

 3年生になるころには「こんなこと周りの誰もやってないし、恥ずかしいことなのではないか?」と思うようになって「ロボット」概念は風化して消えた。でもまだ機械的な私への渇望は残っていたから、私は「まともな私」を開発する「プログラマー」になった。先の予想できる説教を、真剣に聞くふりをしながら、あるいはへらへらと受け流すふりをしながら、低水準の言語に落とし込んで実装した。私は誰に教わるともなく、発達障害者の界隈で頻繁に見る「健常者エミュレータ」概念を自力で見つけていたのだ。天才か? いいえ。

 数年もすれば、深い思考の渦に落ちないですむ方法、自己から目を逸らす方法を知った。教室から脱走もしなくなった(脳内の世界に脱走すればいいので)。人間に褒められることを幸福の条件として重要視しないようになった。依然、学校には行きたくなくて、親からも先生からもたくさん怒られて呆れられ続けたが、もう慣れてしまった。それに甘えてできる限り楽観的に過ごそうとした。社会の一員としては讃えるべきことで、小さな思想家としては軽蔑すべきことだ。

 思い返せば先生や級友から攻撃的な言葉をかけられたこともあった。その中には私が傷つくだけでなく、差別的な、公序良俗に反すると批判すべき発言もたくさんあった。ショーガイシャだの、キチガイだの、IQ がどうの、○組(特別支援学級)に行けだのと。しかしその時の私にはそれを否定する資格が無いと思った。私こそが障害者たる私を誰より強く憎んで、罵倒して、人格や存在そのものを否定して育ったから。

 「ロボット」時代を忘れ、「エミュレータ」の世界観も意識しなくなった、曖昧で穏便な(小さな思想家から見れば無価値な)小学校高学年~高校時代の前半が終わった。

 高校の後半から、進路について考える傍ら、工学言語や哲学的思考に没頭するようになった。私の異端さ、できなさ、怠惰さ、愛着の持てなさ、異常なこだわりが問題として表面化することも増えた。そうしたときに、あの「ロボット」に至るまでの絶望感、自己への嫌悪と軽蔑が、解凍されて私を取り囲んでしまった。

 振り返ればあの時の「ロボット」概念は未来の私の思考・志向を鋭く示唆している。言語の曖昧さや暗黙の了解を嫌って、名言と形式的なものを尊ぶ態度は、工学言語のそれに通じる。かつて命令と仮想の仕様で自分を縛り付けたように、今の私は私の信じた「倫理」で自身の行動を縛ろうとしている。倫理の名のもとで、非倫理と名付けられたものを弾圧している。かつて理解できない全ての他者を「私はロボットで彼らは人間だから互いに共感できない」と言い聞かせて受け入れようとしたように、今は全ての他者を「私の倫理は私以外のものには見えないから」で受け入れようとしている。そうして、心の底では誰も信用していない。

 論理的な言語や厳密な言語を使っても自身の思考がそのようになる訳ではないよね、と言いながらも、本当は言語が私を論理的に厳密にしてくれることを夢見ている。ill-defined な自然言語を直観で(周りより不器用ながら)使えているのに、心の底では「私によって定義されていない語ばかりだ、こんな言語なんて恐ろしくて使えない!」と思っている。工学言語をただの趣味として嗜むふりをしながら、心の底では私の精神を完全記述ロゴパンデクテイトして言語の俎上で操ってその記述に忠実に従う真の自律機械ロボットになることを夢見ている!

 これは傍から見れば異常な考え方なのかもしれないし、自己の外から差し込まれる病的な状態かもしれないが、一部の私にとってはようやく再会した愛しい現実であり、愛してやるべき本来の私だった。

 人間は機械ではない、完全ではない、デジタルではない。人間は自身のソースコードを読んで編集することができない。機械のふりは必ず破綻に終わる。人間は生物の本能には逆らえない。何より、人間には規定された本質がない。実存が本質に先立つ。人間は意図をもって設計されていない。できない私も本質なのだから受け入れて愛するべきだ。

 そんなの、私はよく分かっている。でも私はまだ諦めたくない。

 確かに、ロボットが、エミュレートがどうの、倫理が、本質がどうのとか考えずに生きられた時代が一番幸せだった気がする。実際その生き方がより正しいのかもしれない。でも、ロボットになろうとした幼い私に「その選択は間違っている」と言うのは、何か、非常につまらない気がする。

 もしも、その夢を追いかけるうちに私の夢が損なわれる可能性が大きくなれば(例えば私が自殺を企図(志望ではない)したり、私に敵意のない他者を深く傷つけたり、私が思索を続けられるだけの能力と環境を失いそうになったら)、その時に諦めればいい。諦めて、希頂語のように、楽しい存在として蘇ればいい。やろうと思えばきっとできる。だって私は機械ではなく人間だから。

 「私の中の人間を殺してロボットになりたい」という幼い私の夢を、今の私はまだ捨てたくない。まだ捨てずにいられる。幻を見るのもいい。過去の夢に縋るのもいい。間違うのもいい。だって私は機械ではなく人間だから!