ウオロェデョイ埠頭

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希頂語が見せた光明

️ℹ️ できれば「シディン・アホがみせたグォァンミンッエ」と読んでください。

 数か月前、大きな書店に出向いたときに言語学のコーナーにノシロ語の本があったのを思い出した。その時は買おうか迷ったが結局買わなかった。
 これはただの印象だが、以前に Web で入門講座を見たときに全角と半角の英数字が入り乱れて非常に読みづらく、読むのにかかる処理コストが高すぎると感じた。書籍版でもまあそんな感じだったので見送った。申し訳ない。

 世には、国際語になるべく設計された言語がある。そしてその中には、国際語としてあるまじき妙な仕様をぶち込まれたアホな言語がある。(本当に申し訳ないが、私にはそのように見えてしまう。)
 その類のさらに極端な例として思い浮かぶものが、ポリエスポ (Poliespo) と希頂シディン語 (Shiddin, Xdi8 Aho) だ。ポリエスポはエスペラント子孫イードで、作者のたどった経歴がネタにされることが多い。名前は "複統合的ポリシンセティックエスペラント" に由来する。2や ⿻pw *1という特徴的()な字母があることもよくネタにされている。

 希頂語は中国で作られた人工言語だ。実験的言語に分類されるが、当初は国際語として世界に広まることを意図していた。漢字に1対1で対応する読みを与えて、中国語を字母アルファベット化しようとしたものだ。希頂字母シディンフンザオムには、数字の1や8に似たものも、既存のラテン文字キリル文字のどれにも似ないものもあり、実用は困難だ。同音の漢字は減ったが無くなってはいない。文法は中国語と異なる独自のものになる予定だったが、今のところ定義されていない。*2

 私の感覚では、ポリエスポ、ノシロ語、希頂語の3言語は近い位置にプロットされる。いわば「国際語として設計されたが、(少なくとも一見して)とても国際語として受け入れられない仕様を持つ言語」三銃士である。

 この中で私は希頂語が最も好きだ。存在を知ったのは高校生の時だった。不用意に海の向こうの社区コミュニティに干渉してしまうのを恐れて、ほとんど Twitter などで言及せずに陰からB站ビリビリを観測していた。

 希頂語に対して抱く感情は、尊敬や愛着というよりは親近感だ。私自身を見る感覚と似ているが、そこには底なし沼を覗くような恐怖や嫌悪感がない。

 希頂語を設計した黄雀飛氏はその当初の目的について「中国語を国際的に通用する言語にし、中国文化を世界に広めること」と語り、その動機に「漢民族としての誇り」を挙げていた。誇り。生まれと血への誇り。非常に共同体ゲマシャ的だ。私はゲマシャ的・偶然的・身体的な形質を自分の同一性や誇りのなかに含めてしまうことをひどく嫌い、恐れているので、黄氏が当然のように綴った「漢民族としての誇り」という言葉を見た時はその異文化ファンゲさに動揺した。

 だが、その動揺する私も、自身の哲学、倫理、誇りをゲマシャ性・身体性から断ち切れていない。むしろ平均的な人間よりもそれの結びつきが強いかもしれない。私の知らない設計者ロ・プラトによって設計され、食物に、月経に、天候に、発達特性に、知能に振り回されてめちゃくちゃになるように生まれるべくして生まれた。脳の檻の鉄格子に頭を打ち付けて、時には自ら鉄格子に突っ込んで。気づいたら右手に硬めの紙のようなものが握られていたり、音叉を刺されて一緒に震えたりした。多くの人は脳の檻の鉄格子にはっきりと触れたことがないらしい。人は私を見て「普通だね」と、あるいは「異常だね」と言った。

 極度の完璧主義と極度の飽き性が拮抗するオワリの身体性を制御することに必死になっていたら、こんなに皆から遅れてしまった。追いつくどころか、これ以上引き離されないようにするのすら難しいだろう。このまま寂しいところで、恥と罪を抱えて生きていくのだろう。私は、私から見てまっとうな私である限り、地獄から逃れられない。そのような諦めの気分が私の根底に流れている。

 そのようなオワっている人間として、1990年前後から2020年前半までの希頂語が辿った道には、僭越ながらも共感できる気がする。希頂語は多くが「霊感」に基づいて設計され、実用に適さない奇妙な形に生まれた。

 だが、希頂語は、そのまま埋もれているわけではなかった。

 とあるネット民によって掬い/救い上げられて知名度を上げ、社区コミュニティを形成し、冗談言語・架空言語の性質を帯びて蘇り、今や中国の人工言語の中でも屈指の盛り上がりを見せている。黄氏の「漢民族としての誇り」の話はどこへやら。そうして今知られるシュールでコミカルな希頂語がある。*3

 サルトルは「(ひとの)実存は本質に先立つ」という言葉を残した。意思疎通の道具や芸術作品であるという「本質」が先立つとされる人工言語でも、その言葉のように動くことがあるという(私から見た)事実は、ある種の希望を抱かせる。私もそのように自己の本質を求める底なし沼から解放されて楽しい存在になれるだろうか。なれるかもしれない。私の在り方とか自我とかそういうものを規定するのも私である以上、それらから逃れる道もきっとある。そのように思っていいような気がする。

 これが、私が希頂語に対して妙なアイドゥを感じる理由なのだろう。取るに足らない換語リレクスだとか、失敗した国際語だとか言って終わりにするのはもったいない。新しい希頂語のアホらしさやシュールさの中には、かつての希頂語が求めた燃える灯火シディン・アホ光明グォァンミンッエが確かにある。

 希頂語はいぞ。存在もいかもしれないぞ。
 少なくともこの瞬間の私はそう思う。

 

 終

2024.3.3

*1:「⿻pw」…… 漢字構成記述文字で漢字以外を記述するのは暴挙?

*2:「文法が定義されていない」…… 希頂維基シディンウィキに「希顶语本身是未完成的人工语言,因为虽有语音和词汇,但语法缺乏定义(=希頂語は未完成の人工言語である。なぜなら、音韻と語彙はあるが、文法の定義を欠いている)」とある。

*3:「今知られる希頂語」…… 黄氏は今の希頂語の在り方を割と受け入れているようで、希頂シディン社区コミュニティによる同人誌『希頂学通訊』にも寄稿したりして何かいろいろやっているようだ。